こんにちは!
アユフレンズの山口あゆ美です。
こうとうのないし、という方が
南北朝時代の武将、新田義貞の奥さんだというのは
ここを訪れて知りました。
かつてはきっと琵琶湖の波打ち際だったであろう
田んぼの中にある野神神社。
看板によると
後醍醐天皇の寵姫であった彼女を垣間見た義貞の
猛アタックによる大恋愛の末
天皇に許しを得て
妻にすることができたとのこと。
または、
戦での軍功の褒美として
下賜されたとも。
いずれにせよ
藤原家の雅な姫である勾当内侍に
無骨な坂東武者の義貞は
メロメロになったに違いありません(^^)
だんだん姫も
都の貴族の男にはない
男らしい義貞に惹かれて行ったのかも。。
幸せは長くは続かず
戦に向かう義貞と
今生の別れとなったのがこの地とも
また
義貞の死を知った勾当内侍が
ここからほど近い琴ヶ浜に身投げしたのを
哀れんだ村人たちが
塚を作り、亡骸を葬ったとも。
身投げした日が9月9日なので
その日がこの神社のお祭りだそうです。
太平記では
彼女との別れを惜しんで
義貞の出立が遅れ
足利尊氏に負けたのだ、とか
まるで
勾当内侍が悪女か傾城のように描かれていますが
勝者が書いた歴史なので
真実の程はわかりません。。
でも
もしも本当に彼女が悪女なら
こんなにも長く
村人たちが大切に塚を守り
祀っては来なかっただろうと思うのです。
太平記の頃のお話
全然知らないので
インスタ友さんが紹介されていた小説を
読んでみたいなあと思います。
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