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ayu3mosa0219

清少納言が仕えた中宮定子の眠るお墓@鳥戸野陵

こんにちは!

アユフレンズの山口あゆ美です。



書きたいことが

たくさんたまっているのですが

なかなかはかどらず

更新が遅くて申し訳ありません!



訪ねた順番がかなり前後しますが

今日は最新のあゆさんぽを

書いてみます。



朝一番に

東福寺の名残の紅葉を見た後

泉涌寺~今熊野観音

そして

私のお気に入りのお店での

ランチのために

京都トレイルコースにもなっている

鳥辺野の山道を下っていきます。

(またこれらについても書きますね!)



鬱蒼とした山道から

京都駅の方が眺められる

開けた場所に出るところに

「鳥戸野陵参道」という石碑が。




京都国立博物館から京都女子大に

上がっていくあの辺りから

ここら辺にかけての場所は

「鳥辺野」と呼ばれる

風葬・鳥葬の地でした。



平安初期のこの辺りや

いわゆる洛外(都の外)は

今からでは

想像できない風景だったでしょう。



疫病などで亡くなった人々を

そのまま鴨川の土手や山の裾に

投げ捨て、死体が折り重なって

雨風にさらしたまま

野犬や鳥についばませるにまかせていました。



だから鳥辺野、というのでしょうね。

都の周囲に御陵やお寺、お墓が多いのは

こういう歴史があるからです。



鳥辺野がそんな葬送の地として

最も有名な場所であることは知っていたし

何度も前を通っていましたが

この御陵にどなたが眠っておられるかは

調べることもしていませんでした。



お天気の良さに後押しされ

上がってみることに。




上がってみると立て看板に

中宮定子様が眠っておられると!

(他の方々も合葬)




びっくりしたと同時に

ああ、あの枕草子に出てくる中宮定子様は

本当に生きておられた

実在の人物なんだ!って

改めて実感して、感動したというか。。





定子様は悲劇の姫なんですよね。。



一条天皇に15歳で入内して

仲睦まじくされていたのに

まもなく道長の娘、彰子様が入内。

定子が中宮、彰子が皇后、と

ひとりの帝に2人の后、という

異常な(無理やりな)状況に。



一条天皇も道長の政治力の前には

どうにもできず

また、策略により

定子の兄弟が失脚させられ

完全に彰子の勝利となります。



失意のうちに

3人目の出産の折に

25歳の若さで亡くなられた定子様。。



定子様が

一条天皇に宛てて詠まれた

最後の和歌、というのが

あまりに情熱的というか

念、というか、

情、というか、

激しさを感じる和歌なのです。



夜もすがら契しことを忘れずは

恋ひむ涙の色ぞゆかしき

(藤原定子・後拾遺集)



ひと晩中愛し合い、

この愛は永遠だと

あなたは約束して下さった。

そのことをお忘れにならないならば

私が死んだ後

私のことを恋しく思って流す

その涙の色を

私は見たいのです。

悲しい時に流すという

血の色の涙かどうかを。。。

(あゆ美訳)



一条天皇は

ご自分の意志とは無関係に

定子のところに通うことは

なかなかに難しかったと思いますよね。



道長の目を盗んでの逢瀬。

極限状態だとより燃え上がる恋情。



そんな道長や世間に見られることを承知で

いえ、もしかしたら

わざと詠んだとしたら。。。



几帳の紐に

「お上にお見せ下さい」と書かれて

3首の歌が括り付けられていたそうです。

死ぬ前に詠まれていた歌。

出産は命がけの時代、

出産前に詠んだのか。



悲嘆にくれて流す涙は

紅涙と言って

赤いのだそうです。

あなたの愛が本物かどうか

本当に赤いか確かめたい、

というのです。怖っ。。



ただのお人形の姫ではない

強さや激しさ、

一族の期待を一身に背負って入内した

定子が担っていた一族の命運。



それを踏みにじった道長や彰子に対する

挑戦、というのか

「戦いは負けたけれど

お上の心はわたしのもの」という

プライドのようなものも感じます。



亡くなった後は

火葬ではなく

土葬にするようにとの

定子の希望通り

鳥辺野に葬られました。



焼かれてしまって

魂の宿る

肉体が無くなってしまうのではなく

魂とともに

お上と3人の子供たち、

愛する人たちのそばに

いたいと願ったのか。


あるいは

ライバルとその一族のその後を

体は朽ちても見続けてやる・・

と思ったのか。

そこまでは考えたくないけれど。

自分の産んだ第一皇子が

跡継ぎになれなかったのですからね。。



愛する定子の葬送の夜に

一条天皇の詠まれた歌



長保二年十二月に

皇后宮うせさせたまひて

葬送の夜、

雪の降りて侍りければつかはしける


野辺までに心ひとつはかよへども

我がみゆきとは知らずやあるらむ

(後拾遺集)



鳥辺野までこの身はゆけずとも

心だけは

あなたに付き添ってゆくのだけれど

私の行幸(みゆき)とは

あなたは気づいてくれるだろうか。

しんしんと降り積む深雪となって

あなたに寄り添っているのだよ。。

(あゆ美訳)



一条天皇21歳。

天皇崩御の際に詠まれた和歌も

定子の遺詠への返歌かと思うような

歌でした。



政争のただなか、

翻弄されるしかなかった若い2人。

定子への深い愛が感じられます。。



そんな生身の

激しい愛のやり取りがあった方が

眠っておられるとは思えないくらい

今は静かな場所です。




鳥のさえずりが聞こえ

京都タワーが臨める

西方浄土に向かう山の上。




定子に仕え、敬愛し続けた

清少納言はこのすぐ近く、

月輪に住んだと言われています。



ずっとおそばで

お仕えしていたのかもしれませんね。



千年前の人の営みを

こんなに身近に感じることができるなんて

思いがけなく感慨深いお散歩でした。



#枕草子 #清少納言 #中宮定子 #鳥辺野 #京都 #あゆさんぽ #アユフレンズ




























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